韓国留学するまで1


あんにょん!ちゅみです( ^ω^ )

今回は私が韓国留学するまでを書いていこうと思います。

 

初めての韓国は2歳。

日韓ハーフと言っても父親は在日韓国人2世なので

父も日本で生まれ、日本で育っています。

家での教育は日本語。韓国語を教えてもらうなんてことは一度もなかった気がします。

そんなわたしが初めて韓国へ言ったのは1990年。2歳の時です。

記憶?

もちろんありませんw

ただ、写真が残っているのと

飛行機に乗った時に

近くにいた女性がわたしを可愛いと言ってくれ、

わたしの母に

「抱いて良いですか?」

と言ってわたしを抱いたらしい。

そしてわたしは

その女性がわたしを抱いている時に

う◯こもらしたらしいwwwww

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

もう笑い話ですよねwwwwww

そのあとその女性とめちゃめちゃ気まずい空気が流れたと聞いております←

ごめんね、ねーちゃん。笑

日韓ハーフなのに韓国語が話せない

父親が在日韓国人2世ということもあり、

家での生活は120パーセント日本語。

学校も日本の学校に通い、日本の教育を受けてきました。

違うのは、家の表札に苗字がふたつあること。

小学校低学年時まではなんとも思っていませんでしたが

小学3年生の時に引越しをしたときから

自分の中で友達を家に呼ぶのが億劫になって行きました。

理由は

「なんで苗字がふたつあるの?」

の問いに答えるのが面倒になってきたから。

 

毎回同じことを繰り返すのも嫌だったという感情もあります。

一度、先にいう作戦というのを立てて

聞かれてないのに

日韓ハーフアピールしていたら

自慢かよ

聞いてねえよ

的な感じになって

言うのをやめた気がします。

 

だからと言って言わないと

友達に隠し事をしている気になり

なんとなく居心地が悪かったり。

 

なんとも難しい時期を過ごしたことがあります。

 

転校してきた韓国人

 

小学5年生のとき、韓国人の女の子が学校に転校してきました。

彼女は日本語を話せませんでした。私は自分が韓国ハーフということもあり

彼女に非常に親近感というか興味を持ったのを今でも覚えています。

だから仲良くなりたくて

喋れないけど、近くにいたり

私も韓国のハーフだから!と言っていたのですが

そのときの担任の先生に

「あなたは韓国語を喋ることができないのだから、でしゃばらないで!」

と言われました。

 

あのとき、私の体には

衝撃がはしって

動けなくなったのを

今でも瞬間的に思い出すことがあります。

 

ハーフでも

その国の言葉を喋れなければ

出しゃばってはいいけない。

 

その国のことを語ってはいけない。

 

そのとき私が

韓国語を学びたいという

気持ち、意欲が根こそぎ削がれた瞬間でもありました。

 

 

あのとき、わたしはなにもできなかった。

わたしのなかの「韓国」という存在を否定された瞬間でもあったから。

実際言葉も喋れないわたしは、自分が日韓ハーフだと語る資格がないんだと

思い込んでしまいました。

 

 

ちょっと、書くのがしんどくなってきたので

2に続きます。

 

2 件のコメント

  • コメント残しちゃう〜♡
    ちゅみちゃんは言われなきゃわからないよ、ハーフなの!
    っていうか、その担任の先生なかなかとがってるね。笑
    お友達たくさん出来た方がいいじゃない!!!

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